クオリアが分からない人


クオリアの存在を認識するには、他者の気持ちを想像する、他人になりかわるということを日々行っている必要がある。
つまり、他人がものを知覚しているようすを、そのまま自分が体験しているかのように想像でき、
かつ自分自身がそのものを知覚しているようすも想像し、それらを比較して始めて、クオリアの存在が認識できる。
上記の行為ができない人は、クオリアの意味を取り違えることになろう。


つまり、自分のクオリアだけ認識する、というのではクオリアを知ったことにはならず、
他人もクオリアを経験している(はずだが、それは想像上のものでしかなく、同一性を証明できない)ということも分かって始めて、クオリアの特異な存在性に気づくことになるのである。


ある1つの「りんご」が放つ赤い反射光が、誰にも同じ赤さとして知覚されているかどうか、は証明のしようがないのである。