意識は脳により生成されるのか

意識を、自己の存在を認識するデカルト的意識とするとき、

意識とは、感覚する主体である。
運動する主体は、意識の必要条件には入らない。意識とは、常に何かを感覚しているが、運動していなくても意識は存続する。

この意識が経験するコンテンツを、他人のそれとの同一性を確かめることはできないため、いかに詳細かつ網羅的に脳活動が記録できたとしても、意識が経験するコンテンツとの対応関係を科学的に(還元的に)証明することはできない。


ただしこれは、多数の個体の共通項を見出すという方法論において挫折すると言うことを意味しているだけであって、一個体内で探求できるとすれば話は別である。各個体自らが、意識とはそこに伴う経験を、自分の脳活動と照らし合わせることが出来るならば、意識に対する理解も進むだろう。