それでも主役は脳なのか?

分からないことを分かったように書くのは好きではないのだが。


大脳皮質の働きの中で、よく解明されているのは、1次感覚野など低次の部分である。
言い換えると、状況非依存的な機能から解明が進んでいるとも、いえる。たとえば、視覚について、うれしかろうと悲しかろうと目の見え方は大抵変わらない。笑っていようと怒っていようと手足を動かそうと思えば大抵その通りに動く。しかし、人間らしい高等な判断はその場その場に応じて変化するのである。
大人は一般的にたくさんの経験を蓄積していて、その場その場で過去の経験に基づいた情動的な反応、あるいは意識的な判断によって、自らの行動を決定することが多々ある。このようなメカニズムについては、今までと同様の手段で解析できるのだろうか。「その場その場」の状況というものに再現性がないのである。


状況依存的な反応を脳内の電気生理学的な因果関係だけで説明するというモデルでは限界があるだろう。
つまり脳至上主義(精神のふるまい=脳のふるまい)の風潮は近い将来終焉する。


また、コンピューターと違って、人間の記憶は実体を持つ必要はない。コンピューターの記憶は記憶媒体上に物理的実体を伴っているので、適切な方法を用いればいつ何時でも取り出せるが、ヒトの記憶(長期記憶にしろ短期記憶にしろ)には鮮明度があり、はっきりした記憶もあれば、あいまいな記憶もあり、その中間の記憶もある。また、ヒトの記憶は何らかの外部刺激により想起されるが、その外部刺激により想起される記憶の鮮明さが変わるという特徴もある。コンピューターの記憶装置のような確固たる実体を求めて脳のふるまいを探求しても、不毛である。