ニューラルコリレートが解明されてゆくと

ニューラルコリレートとは、内的な精神活動(つまり心の中で感じること)に対応する神経活動(ニューロンやそのネットワークの活動)のことをいう。


現状では、脳に電極を刺したり、大脳皮質表面に電極を置いたりしないと、細胞レベルでの電気的活動を解析することはできない。従って、そのような精密な解析は健常な人間に対して行うことはできない。しかし、もし今後10年、20年のうちにテクノロジーが発達すれば、非侵襲的に精密な解析が可能になり、人間の精神状態や精神活動がどのような神経活動に対応するのか、即ちヒトの心のニューラルコリレートが解明されてゆくかもしれない。


そうであれば、病的な精神状態については適切な刺激を加えることにより、症状を和らげたり進行を抑えたりできるかもしれない。しかし、我々は自分の精神状態を自分の思うがままに変えることができるようになるか?と問うならば、おそらくそれは不可能だろう。むしろ、自分の精神状態についてのニューラルコリレートが解析できれば、ますます自分の精神状態を変えることが難しいことに気づかされるだろう。


まず、自分が自覚している精神状態というのが、自覚しているまさにその瞬間よりも前の精神状態である(はずである)ということだ。仮に自分の脳の全てのニューロンの状態をモニターする機械があって、自分に対して視覚や聴覚でその情報を伝えているとする。すると、その機械が発した情報が自分の感覚器を経由して意識に上るまでにはタイムラグが存在する。

また、その機械が発した情報は、「自分の脳内において」自らの精神状態と照らし合わされなければならない。それにもタイムラグが存在するし、何より重要なのは、照らし合わせるという活動自体が脳内の状態を変更してしまう。つまり、我々が自分の精神状態を照らし合わせるとき、機械が提供する情報には必ず「自分の精神状態を意識している状態」に関する情報までもが含まれてしまうのである。仮に、「自分の精神状態」と「その精神状態を意識している状態」のニューラルコリレートが等しいものであれば、この問題は杞憂となるのだが、それは楽観的すぎるだろう。

さらに、昔から指摘されている問題だが、「自分の思う通りに」自分の精神状態を変えたい、と思うならば極めて難しい問題にあたる。それは、精神状態を人為的に操作する前の自分と、操作後の自分が同じではない、という問題だ。自分にとっては好ましいと思って、自分の精神状態に何らかの操作を加えたとしても、操作後の自分はその行為を後悔するかもしれない。


このように、自分で自分の精神状態を解析する、ということがもし技術的に可能になれば、多くの問題が立ち上がってくるのである。