あいであのーと2

ものごとの予測には、因果関係の認識が必要
冬だから⇒雪が降るだろう
ごはんを食べていないから⇒おなかがすくだろう


全て経験に基づいており、それ以上の根拠は何も無い。


因果関係はどのようにして認識されるのだろう。
2つの物事が時間的前後をもって起こることが必要だろうか。しかし全てのものごとは1つの時間の流れの中に起こっているのだから、それだけでは認識できない。
その因果関係を何度も経験するからだろうか。たしかに、それは1つの方式かもしれないが、たとえば冬⇒雪のような連関は1年に1回しか経験できないが、5歳の子供の多くは冬が寒くなって雪が降ることを知っているにちがいない。


結局、多くの因果関係は、言語を介して経験なしに習得していくと考えられる。経験より先に因果関係を知っておき、あとから実例をみて納得する、というパターンが圧倒的に多い。つまりそれが「勉強」だ。(頭に「人生」がつくととたんに逆の意味になり、考えるよりまず実地経験をつむというニュアンスがでてくるが。)

大事なことは、「勉強」で得るものはあくまで、因果関係の束にすぎず、それが実際自分にどういう感覚をもたらすかについては何も教えてくれない、ということだ。もちろん「勉強」すること自体も一つの行動なので、それに付随して賢くなった気分や爽快感、あるいはやりすぎて疲労感がもたらされることはある。しかし、学ぶ対象そのもののイメージは浮かびえない。学ぶ間にある程度想像はできるけれど、それは実際に経験するときに持つイメージと似ているという保証は無い。